ヤン・シュヴァンクマイエルに影響されてコラージュを始めた天北竹みのるる尾です。
ヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』は、観る人の記憶に長く居座る映画です。
かわいらしい童話を想像して再生すると、良い意味で裏切られます。
この記事では、作品の基本情報とあらすじを押さえたうえで、原作との違いや名シーンの意味までを順番に解説します。
観る前の予習にも、観た後の振り返りにも使えるように整理しました。
私自身、シュヴァンクマイエルは制作でもっとも影響を受けたシュルレアリストの一人です。
描き手の目線で見た『アリス』の造形についても、後半でお話しします。
シュヴァンクマイエル『アリス』とは?作品の基本情報
この章では、制作年や上映時間といった基本データから、作品の観られる場所の探し方までを整理します。
予備知識ゼロでも、ここを読めば全体像がつかめます。
1988年公開の長編第一作という位置づけ
『アリス』は1988年に製作された作品で、シュヴァンクマイエルにとって初の長編映画です。
それまでは短編を中心に活動しており、短編『対話の可能性』(1982年)などで高い評価を得ていました。
原作はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』です。
ただし、映画の手触りは原作の挿絵やアニメ映画の印象とはまったく別物です。
実写の少女と、人形・剥製・日用品のコマ撮りアニメーションが同じ画面に同居する点が、この作品の最大の特徴です。


スタッフ・キャストと上映時間
日本での公開は1989年7月で、上映時間は86分です。
監督と脚本はヤン・シュヴァンクマイエルが務めています。
主演のアリス役は、実写で登場する少女が演じています。
一方で、アリスの声はほぼ全編にわたって語りとして挿入される構成です。
映画.comやFilmarksなどの作品情報ページで、スタッフ・キャストの一覧を確認できます。
観られる場所(配信・DVD・特集上映)の探し方
観る方法は大きく三つあります。
配信サービス、中古を含むDVD・ブルーレイ、そして名画座などの特集上映です。
配信は取り扱いが入れ替わりやすいため、Filmarksの作品ページで「動画配信」の欄を確認するのが確実です。
DVDはブックオフのような中古販売でも流通しており、手元に置いて繰り返し観たい方には向いています。
特集上映は、阿佐ヶ谷のミニシアターなどで「ヤン・シュヴァンクマイエル特集」として組まれることがあります。
大きなスクリーンで観ると、細部の質感がまるで違って見えます。
DVD・ブルーレイは中古でも流通しており、手元に置いて繰り返し観られます。
特集上映では、大きなスクリーンで質感の細部まで味わえます。
あらすじ|ディズニーとは真逆の「物質の悪夢」
この章では、物語の流れを順に追いながら、なぜこの映画が「悪夢」と呼ばれるのかを具体的な場面で説明します。
ネタバレは骨格にとどめますので、これから観る方も安心して読んでください。
屋根裏部屋と引き出しの迷宮へ
物語は、少女アリスが退屈な部屋で過ごす場面から始まります。
やがて彼女は、剥製のウサギに導かれ、机の引き出しの中へ入り込みます。
迷い込む先は、色鮮やかな花畑ではありません。
埃っぽい屋根裏部屋や、古びた引き出しが連なる迷宮です。
この舞台設定が、ディズニーのような華やかさとは真逆の方向を決定づけています。
剥製のウサギ、石や画鋲に変わる食べ物
登場する生き物の多くは、剥製や骨、人形といった「かつて生きていたもの」「生命のないもの」です。
ウサギは動くたびにおがくずをこぼし、見ているこちらの喉まで乾いてくるようです。
さらに、食べ物は石や画鋲に変わります。
本来なら「おいしそう」と感じるはずの場面が、触覚的な不快感に置き換えられているのです。
この「物質が持つ嫌な手触り」こそが、シュヴァンクマイエル作品を貫く武器です。


原作『不思議の国のアリス』との違い
この章では、原作との違いを「少女像」と「世界の成り立ち」の二つに絞って解説します。
原作を読んだ方ほど、映画の異質さがはっきり見えてきます。
「無垢」ではなく「衝動」として描かれる少女
原作のアリスは、好奇心旺盛でありながら、どこか行儀のよい少女として描かれます。
映画のアリスは、もっと生々しく、衝動に突き動かされる存在です。
感想記事の中には、無垢な子どもではなく「衝動」としての子どもを描いている、という読み方もあります。
私もこの見方に説得力を感じます。
子どもの内側には、理屈で説明できない欲求や苛立ちが確かにあるからです。
だからこそ、この映画のアリスは「肝が据わっている」と評されることがあります。
物が語り出す世界と閉じた部屋の息苦しさ
この映画では、物が主役です。
引き出し、ハサミ、肉、トランプなど、日用品がそれぞれ意思を持つかのように動きます。
舞台がほぼ閉じた部屋の内側に限られている点も重要です。
広い野原を冒険する原作とは違い、どこへ進んでも出口のない息苦しさが続きます。
この「閉じた空間で物が語る」構造が、観る人を子どもの頃の夢の中へ引き戻します。

舞台は閉じた部屋の内側が中心で、物が意思を持つように動く世界です。
『アリス』をシュルレアリスムとして読み解く
この章では、シュヴァンクマイエル自身の思想に踏み込みます。
『アリス』が単なる奇妙な映画ではなく、シュルレアリスム映画の代表作とされる理由が分かります。
シュヴァンクマイエルにとってのシュルレアリスムとは
シュヴァンクマイエルは、1970年以来「チェコスロバキア・シュルレアリスト・グループ」の中心的な存在です。
彼にとってシュルレアリスムは、芸術のスタイルではなく、世界に向き合う「態度」です。
アンドレ・ブルトンが唱えた精神的自動記述(オートマティスム)を受け継ぎつつ、自分自身の強迫観念を形にすることに力を注いでいます。
強迫観念を「物質」に与えて解き放つ手法
夢、無意識、恐怖、エロティシズム。
これらを理性で制御せず、物質という形に与えて解き放つのが彼のやり方です。
『アリス』で食べ物が石や画鋲に変わるのも、頭の中の不安を「触れる物」にしたからこそ生まれた光景です。
私は連想からイメージを描く制作をしているので、この「思いついたものを抑えず、まず物にする」姿勢に強く共感します。
検閲下で磨かれたブラックユーモア
共産主義体制下のチェコスロバキアで、彼の表現は常に検閲の対象でした。
1970年代には、数年間の映画製作禁止処分を受けています。
そこで彼は、直接的な言葉ではなく、隠喩と不条理なイメージで権力や官僚主義を皮肉りました。
ブラックユーモアは、不自由な社会の中で個人の精神的な自由を守るための武器でもあったのです。


名シーンで味わう不気味さの正体
この章では、特に印象に残る四つの場面を取り上げ、なぜ怖くて、なぜ目が離せないのかを分解します。
ネタバレを含むため、未見の方は鑑賞後に読むのもおすすめです。
赤ちゃんが子豚になる場面
抱いていた赤ちゃんが、いつの間にか子豚になっている場面は、多くの人の記憶に残ります。
愛らしいものが一瞬で別のものに変わることで、見ている側の安心感が崩れるからです。
人間と動物の境目があいまいになる感覚は、夢の中ではごく自然に起こります。
映画はその曖昧さを、そのまま画面に持ち込んでいます。
引き出しの取っ手が抜ける理由
引き出しの取っ手が抜けて、開けたいのに開けられない場面があります。
道具が「使う人の思い通りにならない」ことを象徴する、小さくて効果的な演出です。
夢の中で足が動かない、ドアが開かない、といった経験に重なるため、観る側は理屈抜きで苛立ちを共有します。
トランプの兵士たちと「形式の暴走」
トランプの兵士たちは、命令に従って整列し、ひたすら形式を守ります。
意味を失った形式だけが暴走していく様子は、官僚主義への皮肉としても読めます。
先に触れた検閲下の背景を踏まえると、この場面の滑稽さと怖さがより際立ちます。
夢の終わりと、終わらない夢
物語は最後に、現実へ戻るような形で幕を閉じます。
けれども、後味は決して「めでたしめでたし」ではありません。
夢が終わったはずなのに、どこか夢の続きにいるような余韻が残ります。
感想記事の中には「夢が人を見ている」と表現したものがあり、この感覚をよく言い当てていると思います。


観た人の感想・評価の傾向
この章では、映画サイトに寄せられた感想の傾向をつかみ、作品の受け止められ方を整理します。
自分に合う作品かどうかを判断する材料になります。
「不思議な夢」と受け取る人、「肝が据わったアリス」と受け取る人
映画.comのレビューには、「不思議な夢のアリス」と題した高評価の感想や、アリスの肝が据わっている点に注目した感想が並んでいます。
一方で、奇想天外で摩訶不思議だと感じつつ、評価は中庸にとどまる方もいます。
つまり、この作品は「好きな人にはたまらないが、人を選ぶ」映画です。
万人向けの娯楽作ではなく、感覚で味わう作品だと理解しておくと、肩の力を抜いて観られます。
子ども向けではないのか? 観る前の心構え
タイトルや原作の知名度から、子ども向けと思って再生する方もいます。
ただし、剥製や生肉、画鋲といった不穏な要素が多く、小さなお子さんには刺激が強い場面があります。
不快感が出るのは自然な反応で、むしろ作品の狙いに近い感覚です。
彼自身の作品は、観て心地よいものではなく、封じ込めてきた肉体的な感覚を揺さぶるものだからです。

ボールペン画家の視点で見る『アリス』の造形
この章では、描き手として『アリス』のどこに惹かれるのかをお話しします。
連想から異世界を作りたい方に、制作のヒントとして役立つ内容です。
描き手として惹かれる「質感」と「陰影」
私はボールペン画に色鉛筆で色をつけ、連想イラストやシュルレアリスム的な絵を描いています。
線を重ねて陰影をつけていくと、バラバラだった要素が一つの世界としてまとまることを実感してきました。
『アリス』の剥製やおがくずの質感は、まさにこの「陰影と質感が世界を成立させる」例だと感じます。
現実にはあり得ない存在も、手触りが説得力を持てば、観る人は受け入れてしまいます。
連想から異世界をつくる発想へのヒント
シュヴァンクマイエルは、頭に浮かぶ強迫観念を理性で止めず、物の形にして外へ出します。
私の制作も、連想する力と空想する力を大事にする点で、近いものがあります。
たとえば、日用品を一つ選び、「これが意思を持ったらどんな顔をするか」と連想を広げてみます。
それだけで、モンスターデザインや異世界画の入り口になります。


『アリス』のあとに観たい作品・読みたいもの
この章では、『アリス』の次に触れると世界が広がる作品を紹介します。
シュヴァンクマイエルの魅力を、別の角度から味わえます。
『対話の可能性』『悦楽共犯者』『オテサーネク』
『対話の可能性』(1982年)は、粘土でできた人間が互いを喰らい合い、融合し、無残な塊へと変わっていく短編です。
コミュニケーションの不可能性を、圧倒的な造形力で見せつけます。
『悦楽共犯者』(1996年)は、六人の男女が、それぞれの欲望を満たすために装置を作り、儀式を準備する群像劇です。
セリフを一切使わず、フェティシズムを乾いたユーモアと触覚表現で描きます。
『オテサーネク』(2000年)は、チェコの民話を下敷きに、子どものいない夫婦が切り株を子どもとして育てる物語です。
『アリス』が気に入った方は、まずこの三作から選ぶのが分かりやすいです。
江戸川乱歩など日本文化との接点
シュヴァンクマイエルは、日本の怪奇・幻想文学の巨匠、江戸川乱歩のファンとしても知られています。
乱歩の閉鎖的でフェティッシュな世界観は、彼の感性と響き合います。
浮世絵や伝統芸能への関心も語られており、構図の美しさや静と動の対比には、東洋的な様式美との接点が感じられます。
日本の読者にとって、親しみを持ちやすい作家です。

まとめ|『アリス』は「招待状」として観る
『アリス』は、心地よい体験を約束する映画ではありません。
けれども、その不快感こそが、日常で封じ込めてきた感覚を呼び覚ます入口になります。
物質に魂を呼び戻すような映像は、退屈な日常から、不条理な真実へ連れて行く「招待状」と言えます。
気になった方は、まず一度、静かな夜に再生してみてください。
私は、作品を通じて見てくださる方の連想や創造する力を、少しでも豊かにしたいと考えています。
シュルレアリスム的な表現やモンスターデザインに興味がある方は、下記のnoteで作品をご覧いただけます。
https://note.com/mankai8080

よくある質問(FAQ)
『アリス』は子どもが観ても大丈夫ですか?
小さなお子さんにはおすすめしません。
剥製や生肉、画鋲など不穏な要素が多く、刺激が強い場面があるためです。
観る場合は、保護者の方が先に鑑賞しておくと安心です。
原作を読んでいなくても楽しめますか?
楽しめます。
物語を追うより、映像の質感や雰囲気を味わう作品なので、予備知識は必須ではありません。
ただ、原作を読んでおくと、映画の異質さがより鮮明に感じられます。
シュヴァンクマイエル作品は何から観るのがよいですか?
長編なら、まず『アリス』が入りやすいです。
短編から入りたい方は『対話の可能性』が、作風を短時間でつかむのに向いています。
声優はどのように使われているのですか?
アリスの声は、語りとして作品全体に挿入される構成です。
詳しいスタッフ・キャスト情報は、映画.comやFilmarksの作品ページで確認できます。

















